24系客車はもともとは国鉄の寝台特急用客車です。
北陸トンネル事故の影響で一度14系の製造が取りやめられ、14系をベースにしながらも、火災対策えお施し従来の20系と同様に電源車から供給を受ける集中電源方式の客車として1972年に新製されました。
その後2段寝台や個室A寝台を装備した25形が登場し増備が続き14系とともに寝台特急の主力を務めていました。
 大分急行では以前伊豆急行が食堂車を使用していたことに着想を得て、小倉―大分間で食堂車連結特急を走らせる構想がありました。
1995年以降、ソニックの登場、大分自動車道の開通と、小倉―大分間の特急需要の乗客の減少が起き、メインの特急を強化しながら、大分急行しかない新しい列車を作り利用客を呼び込むというものでした。
車両案は1つに電車で新規に車両を製造または改造、既存寝台客車の食堂車を購入するという手法が考えられました。
ちょうど1997年改正で富士、はやぶさの食堂車の連結が取りやめとなったため食堂車を購入しました。
すでに購入していた12系客車と組み合わせて小倉―大分間で走らせることになりました。
改造が終了した後1998年3月改正からグルメくにさきとして運転を開始しました。
大分急行に所属するのは食堂車とロビーカーだけで寝台車は保有していません。
現在ははまなす廃止により、日本で唯一動く24系となってとなっています。

オシ24-100番台

 もともとは14系のオシ14でしたが向日町の24系を東京九州間の運用につける際、食堂車が不足したことから
14系のオシ14を24系に編入しました。電源方式のみの変更で車内、外観の変化はありません。
大分急行には集中電源方式をとる客車が存在しないことから、14系時代の分散電源方式にもどす改造が行われました。
14系に戻ったということになりますが、形式変更は行われずに24系のままです。
内外観ともに、国鉄末期から1997年11月までの姿を保っています。
現在はグルメくにさきの食堂車として活躍しています。
105から103までの3両が所属しています。

オハ24-700番台


 国鉄末期の1985年、乗客減少の始まった寝台特急のテコ入れとしてゆとりのあるスペースを提供する目的で東京ー西鹿児島間のはやぶさの付属編成に組み込まれました。
翌年には東京―宮崎間の富士にも拡大され、JR九州の東京方面への乗り入れる寝台特急のほぼすべてに連結されました。
食堂車廃止後も連結が継続され2005年まで使用されていましたが、さくら廃止と富士、はやぶさの東京ー門司間での併結による14系化に伴い、
廃車となり大分急行へやってきました。
 大分急行譲渡車は703以降の出入扉、デッキがあるタイプで統一されています。

24系の画像について
24系の画像はにわとり氏の伊勢崎電気軌道内で公開されている一般型客車資料室の宇田惣郷氏作の24系客車(非営利目的に限り、改変・利用自由とあります)を改造させていただいたものです。

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