ここでは大分急行の社史を紹介しています。 年表形式でまとめてみました。
各前身企業ごとにセクションが分かれています。 

豊前鉄道とその構成各社

1907年:4月20日小倉浅香((現在の小倉駅とは別駅)―宇島八屋―耶馬溪間の鉄道免許が交付される。
1908年:4月15日豊前鉄道が設立される。 初代社長にはが選出される。(大分急行の創業記念日)
1910年:11月15日小倉浅香―行橋間が開業。
1912年2月24日:計画されていた耶馬溪鉄道に直通する方針に変更し、豊前八屋―耶馬溪間の建設を中止し、同区間の免許を返納。
その代わりに豊前八屋ー中津間の免許を申請。
同年3月13日:行橋―豊前八屋間開業
1913年6月14日豊前八屋―中津の免許が交付される。
1915年10月2日同区間が開業し全線が開通する。 小倉―中津間の急行列車が運転開始となる。
全通に伴い、小倉浅香を小倉に改名
1928年5私鉄疑獄事件が発生、豊前鉄道は福岡本線計画を棚上げにする。
1929年耶馬溪鉄道が1067oへ改軌されたことに伴い1往復の直通急行列車が運転される。
1931年5月12日耶馬溪鉄鉄道を買収、豊前鉄道耶馬溪線となる。
1933年5月13日:小倉―行橋間を電化(直流600V)
1944年2月10日戦争の激化に伴い急行列車を廃止し、全線普通列車のみの運転となる。
1946年戦災復興のために63系を導入。同時に直流1500vへの昇圧を行う。
1948年戦時措置により廃止となった急行列車を運転再開する。
1951年豊前鉄道と大分交通は小倉―杵築間で直通急行列車の運転を開始する。
1961年大分交通国東線の安岐―武蔵間が橋梁流出により運休、豊前鉄道からの直通列車は国東までの運転となる。
豊前鉄道初めての
1964年豊前鉄道の協力によって、大分交通の国東線不通区間が復旧し小倉ー杵築間の直通列車の運転が再開される。
     キハ1000系が登場し小倉―杵築間の急行を特急両子に格上げ。
1968年ATS-BRを整備する。
1969年中津まで電化し準急を運転開始。(電車急行の始まり)
1972年4月1日大分交通と合併し大分急行鉄道となる。旧豊前鉄道の路線は耶馬溪線を除き福岡支社の管轄となる。
耶馬渓鉄道
1911年7月28日:耶馬渓鉄道に対し鉄道免許状下付(豊田―津民間)
1913年12月26日:耶馬渓鉄道が中津ー樋田(後の洞門)間を開業、軌間762o。
1914年12月11日:樋田ー柿坂(後の深耶馬、耶鉄柿坂)間が開業。
1922年5月30日:鉄道免許状下付(下毛郡城井村―同郡三郷村間)
1924年6月26日:柿坂―守実(後の守実温泉)間が開通し全通。
1929年8月24日:全線を1067oに改軌、豊前鉄道小倉から直通列車1往復を運転する。
1931年5月12日:豊前鉄道に買収され耶馬渓線となる。
大分交通構成各社 
豊州電気鉄道(別府大分電鉄
1894年11月30日 : 別府・大分間の軌道敷設特許。
1896年8月5日 : 豊州電気鉄道株式会社設立。
1897年4月28日 : 工事施工許可。
1900年)5月10日 : 最初の区間である別府停留場 - 堀川停留場間が開業。
1901年11月29日 堀川停留場 - 荷揚町停留場(後の県庁前)間が延伸開業。
1902年4月15日 : 荷揚町停留場 - 南新地停留場間(後の竹町通)が延伸開業。
1906年1月4日 : 豊後電気鉄道株式会社設立、豊州電気鉄道の一切の事業を承継。
1916年(大正5年)3月28日 : 九州水力電気株式会社が豊後電気鉄道を合併。路線は同社の大分電鉄線となる。
1917年7月7日 : 南新地停留場 - 外堀(外濠)停留場間が延伸開業。
1919年2月24日 : 外堀停留場 - 大分駅前停留場間が延伸開業し、大分駅前に乗り入れ。
1922年)3月7日 : 警察署前停留場 - かんたん停留場間に、海岸寄り(新川停留場)経由の新線が単線で開業。同時に大分駅前 - 警察署前間を複線化。
1922年11月25日 : 脇浜停留場から先の線路を海岸よりの新設道路に付け替え、別府停留場を移設(後の別府桟橋)。
1925年12月31日 : 警察署前 - 堀川 - かんたん間の旧線のうち堀川 - かんたん間撤去。残る警察署前 - 堀川間は車庫線として残存。
1927年6月24日 : 別府大分電鉄株式会社設立。
1927年6月30日 : 九州水力電気が別府大分電鉄へ路線を譲渡。
1928年2月21日 : 別府市大字別府から速見郡亀川町へ至る区間の軌道敷設特許。
1928年2月25日 : 別府市北町から同市不老町へ至る区間の軌道敷設特許。
1929年5月1日 : 別府桟橋停留場 - 境川停留場間が複線で延伸開業し、同時に北浜停留場 - 別府駅前停留場間の支線も開業。
別大両市内区間が複線化される。
1929年7月16日 : 車庫移転に伴い警察署前 - 堀川間の車庫線廃止。
1930年12月1日 : 境川停留場 - 亀川新川停留場間が複線で延伸開業。
1938年月19日 : 両郡橋 - 東別府駅間複線化。
1942年3月3日 : 亀川新川停留場 - 亀川駅前停留場間が複線で開業する。
1945年4月20日:戦時統合により大分交通別大線となる。
宇佐参宮鉄道・国東鉄道(のちの宇佐国東鉄道)
宇佐参宮鉄道
1916年宇佐参宮鉄道全線開業
1924年西国東郡高田町(現豊後高田市)−同郡真玉町(現同市真玉)間の鉄道免許状が下付される。
1925年4月10日国東鉄道と宇佐参宮鉄道は合併し宇佐国東鉄道となり宇佐参宮鉄道は宇佐線、国東鉄道は国東線となる。
国東鉄道
八坂村ー富来町間で鉄道敷設免許が交付される。
1914年国東鉄道が設立 。
1916年申請期限超過により免許失効
1922年7月4日国東鉄道最初の区間として杵築ー杵築町間が開業。
12月24日森江まで延伸
1923年10月5日守江 - 奈多八幡間が開業。
1925年4月10日宇佐参宮鉄道と国東鉄道の合併により宇佐国東鉄道となり同社国東線となる。
宇佐国東鉄道
1925年4月10日宇佐国東鉄道が成立
1929年6月2日宇佐国東鉄道宇佐参宮線が豊前四日市まで延長される。
1935年11月30日武蔵ー国東間が開業する。
1938年豊後高田―富来間が完成、宇佐国東鉄道宇佐国東線として統一れさる。
1945年4月20日戦時統合により、大分交通に統合国東線となる。
豊州鉄道
1911年鉄道敷設免許が交付される。
1912年日出生(ひじゅう)鉄道として設立。
1914年四日市ー新豊岡開業
1915年新豊川ー三又川間が開業
1918年院内―安心院間の免許が取り消しとなる。
1924年豊前四日市を豊前松江駅に改称
1925年四日市町駅を豊前四日市駅に改称
1929年豊州鉄道に名を改める。
1945年戦時統合により大分交通に統合、豊州線となる。

中津鉄道
1915年四日市町ー中津間の軽便鉄道計画が持ち上がる。
1916年中津ー四日市町間の免許が交付される。
1918年全線開業
1945年戦時統制により宇佐国東鉄道、別府大分電鉄、豊州鉄道、中津鉄道は合併して大分交通に中津鉄道は中津線となる。
大分交通統合後
1951年小倉ー杵築間の直通急行列車が運転開始。
1953年9月30日豊州線廃線。
1956年10月19日別大線別府駅前―北浜間の支線が廃止となる。
1961年国東線の安岐―武蔵間が橋梁流出により運休(台風)、豊前鉄道からの直通列車は国東までの運転となる。
1964年豊前鉄道の協力もあり、不通区間が復旧し小倉ー杵築間の直通列車の運転が再開される。
同時期に新型特急気動車としてキハ1000系が登場し小倉ー杵築間で特急両子が運転開始される。
1965年2月1日別大線の普通鉄道化と国東線直結のために杵築ー大分間の免許を申請。
1966年大分空港が国東半島に移転することが発表され、宇佐国東線の乗り入れが決まる。
1969年3月2日大分交通と豊前鉄道の合併のため、大分交通の鉄道部門は大分鉄道として分社化 
         大海田駅が空港最寄駅となるため、空港ターミナル乗り入れのために空港駐車場地下に設けることを決定。
1970年3月12日杵築ー亀川間が別杵線として部分開業。 (電化は地下区間完成まで行わず非電化)
       同日 杵築駅を別杵築線合流地点に杵築口駅として移転、旧杵築駅部分は国鉄連絡線に変更される。
           これに伴い八坂駅を廃止する。
1971年10月16日大分空港移転によって大海田駅を大分空港駅に改称、空港駐車場地下に移転。
          地上部分には大分空港貨物駅が設けられる。
          航空燃料輸送の貨物列車を大分空港―国鉄日豊本線鶴崎(九州石油)間で運転開始。
          貨物列車用にDD130ディーゼル機関車を導入 大分交通最後の新製車両
1972年4月1日豊前鉄道と大分交通の鉄道部門(大分鉄道)が合併し大分急行鉄道となる。大分急行鉄道の本社は大分市に決まる。
旧豊前鉄道本社地域であった福岡県内の路線は 福岡支社となり、豊前鉄道旧中津支社の耶馬渓線は大分急行本社の管轄路線に。
合併以降の大分交通はバス会社として存続する。

大分急鉄道成立後
1972年4月1日:大分急行鉄道となる。初代社長には旧豊前鉄道の最後の社長であった中村正光が就任。
1973年10月1日:亀川ー大分間が普通鉄道化されに別大線の最後の区間が廃線、小倉ー大分間は両豊本線となる。
      同日付で両豊本線全区間が直流1500Vで電化される。キハ1000系は耶馬溪線特急に転用
      小倉ー大分間の特急、りょうほう運転開始 初代特急電車として1500系が登場。
      幸崎線が開業する。 
1988年3月3000系電車を導入、1500系の置き替え開始
同時に3000系運用列車では禁煙車を設定(自由席1両指定席1両)する。
1994年12系客車をJRから多客輸送用として購入
1997年12月16日JR九州から寝台特急富士、はやぶさの24系の食堂車3両を譲受する。
1998年5月1日:臨時客車特急のグルメくにさきが運転開始。
1999年 SFカード式乗車券Oカードを導入。 エリアは小倉ー行橋間でスタート
2000年3月11日:耶馬溪線が廃止となり特急洞門として使われていたキハ1000系が引退。
2002年2月19日:大分空港への燃料輸送貨物列車がタンクローリー輸送への切り替えとなり廃止される。
2002年4月1日:大分急行設立30年を迎える。 
         30周年フリーきっぷを発売
2005年元富士、はやぶさのロビーカーを譲受する。
2006年日:北九州空港が移転開港 北九州空港線が開業する。
      同線開業に伴いOカードを拡大、同線もエリア内に
2009年3月7日:特急列車の完全禁煙化を実施
                     ICカード乗車券 O-NETを導入。エリアは小倉―中津間の両豊本線と北九州空港線でスタート
              O-NET導入に伴いOカードがサービス終了となる
2009年5月10日:JR西日本よりEF66型電気機関車を2両購入。
2010年3月17日:JR東日本のsuica,JR九州のSUGOCA、福岡市交通局のはやかけん、西日本鉄道のnimocaと相互利用を開始。
          同時にo-netエリアを全線に拡大
          大分県内バス3事業者がO-NETを導入
2012年ICカード全国相互利用に参加大分急行で全国相互利用加盟各社のICカードが利用可能となる。
         またo-netが全国で使用可能となる。 
         (ただしpitapaは電子マネー機能が使用できない)
                    MOVAサービス終了に伴い特急列車の電話サービスが終了
2012年4月1日:大分急行設立40周年を迎える。 40周年記念乗車券や記念特急列車の運行などの様々なイベントを実施
 特急用に3700系電車を導入、3000系の置き換え開始。
2018年 創業110周年を迎える創業110周年記念事業を実施

戻る
inserted by FC2 system